第一印刷株式会社・una casita 中田弘子さん(元今治市地域おこし協力隊)
愛媛県の北東部・瀬戸内海のほぼ中央部に位置し、中心市街地がある平野部や、緑豊かな山間部、瀬戸内しまなみ海道、安芸灘とびしま海道が架かる島しょ部からなる今治市。
そんな今治市中心部の商店街で地域おこし協力隊として活動し、現在はしまなみ海道に位置する大島に暮らしながら今治市内の会社で働く、中田弘子さんにお話を伺った。
弘子さんはいわゆる孫ターン。弘子さんご自身は今治に暮らしたことはないが、夏休みのたびに訪れる親の田舎だった。
都会で暮らしたからこそ気づいた今治の魅力
Q.協力隊になったきっかけを教えてください。
協力隊になりたいというよりも、今治に来たいという思いがありました。東京で暮らしていて、最初は刺激的だったけれど、新しいものが次々できることに慣れて飽きてしまったんです。
今治は、夏休みを過ごしに毎年訪れていて、子どもの頃は特に何も感じていなかったけれど、大人になって都会暮らしも知ってみると、逆に田舎暮らしがいいなと思うようになって。今治へ遊びに行くのではなく住むということを考えるようになりました。ただ、今治に住むにしても仕事がないなと思っていた時に協力隊を知って、それならとりあえず3年間は仕事があるしいいかも、と思って選びました。
仕事は3年の間になんとかなるだろうくらいに思っていたけれど、実際、活動しているといろいろな方と出会って関係ができて、それが今につながっています。今勤めている印刷会社は、協力隊の活動で企画したイベントのチラシをお願いした縁でした。冗談で「うちに来たら?」と声をかけてくれて、実際に仕事を探している時に相談させてもらって働けることになりました。なんとなく流れに乗った感じですが、協力隊をしていたからこそ出会えた縁ですし、信頼関係もできていたので、協力隊をやっていて良かったなと思います。
Q.協力隊のときに取り組んだことを教えてください。
「商店街のある中心市街地を活性化する」というのがミッションでした。もともと今治に来ることが目的で、協力隊としてこれをやるぞという目標があったわけではなかったので、改めて自分にできることを考えました。そこで前職でネット関係の仕事をしていたことから、中心市街地のウェブサイトのリニューアルやSNSでの情報発信から始めました。
2年目から「まちなか学」というワークショップやまち歩きを企画しました。年間スケジュールを考えてパンフレットを作り、市内のお店や学校に配布しました。自分がやりたいことや知りたいことを、専門家の方に先生になってもらい教えてもらう場を作るという形で、自分も楽しみながら、商店街に人が集まるきっかけにもなればと企画しました。私も先生になってアロマのワークショップをしたこともあります。
Q.職員の方や地域の方との関わりはどうでしたか?
東京で開催された地域おこし協力隊の募集説明会で会った職員さんと意気投合して応募を決めたのですが、その方がそのまま担当職員になって、今治に来てからもお世話になりました。豪快な方で私の活動を応援してくれ、周りの職員の方も気にかけてくれたのでとても活動しやすかったです。
今治商店街の中の拠点に常駐していたので、役場に席があるのとは違う関わり方を商店街の方とできたのも良かったと思います。アーケードの飾りつけの手伝いに参加したり、自分がイベントをしたりしながら、商店街協同組合の会合や”おかみさん会”という商店街の奥さんたちの会に顔を出すうち、気心が知れて仲良くなれたかなと思います。いい場所で活動できました。
協力隊任期中に実施したワークショップの様子
島で暮らし街で働く”ちょうどいい暮らし”
任期中に大島に暮らす移住者仲間と結婚し、任期満了後に大島へ引っ越した弘子さん。仕事は、市内陸地部の会社へ橋を渡り、通勤している。
Q.協力隊のときの縁での就職ということですが、今の仕事はどうですか。
印刷会社ですがウェブサイトの制作に携わることが多いので、前職の経験を活かせますし楽しいです。協力隊を経験したことで、地域のためになる仕事をしたいという気持ちも出てきました。あるサイトで今治で働く人を取材して紹介するコーナーを担当していますが、自分の仕事がその方や今治の情報発信につながっていると思うと、とてもやりがいを感じます。いい仕事に巡り合えたと思います。協力隊を経験して今の仕事が巡ってきたのも何かの縁だなと。前向きな気持ちで仕事をさせてもらっています。
ホームページやパンフレットの制作など、協力隊が縁でやらせてもらっている仕事もたくさんあります。協力隊の活動中はいろいろな方と知り合いますし、市役所にも関わった職員の方がいるので、その縁が切れずに今も仕事で関われるのはうれしいことですね。
協力隊というと起業する方が目立つかもしれませんが、就職するのもいいものですよ、と言いたいですね。
Q.退任後は大島で暮らすようになりましたが、大島での暮らしはどうですか。
協力隊になった当初は結婚するとも島暮らしをするとも思っていませんでしたが、結果的に良かったと思います。島暮らしをしながら、仕事はまちなかにあって、どちらも楽しめます。のんびりした島暮らしと、会社で働くサラリーマンというふたつがあることが私には合っていたと思います。
島では地元の人に教えてもらいながら移住者の友人たちと米作りをしていて、自然に囲まれた暮らしがあります。仕事はこれまでの経験が活かせてやりがいもある。ぴったりはまった、ちょうどいい暮らしです。
島には協力隊時代の友人知人がいますし、そこから関係が広がって新しく出会う人もいます。
今年は初めて大島の伝統行事の”島四国”の当番をしたり、集落の広報委員も担当しました。役割もやらせてもらうことで地域の方とも知り合えて、地域のことも知れて、ここでの暮らしも一段と楽しくなってきました。
大島のオリーブ園での収穫祭の様子と収穫したオリーブから採れたオイルで作ったせっけん。
できることがつながって見えてきたこれからの暮らし
東京時代からオリーブやアロマに関わっていて、協力隊のうちから、オリーブを使った石鹸やラベンダーの精油づくり、それらを作ったり使ったりするワークショップを開催している弘子さん。仕事とはまた別の、ライフワークだという。
Q.アロマやハーブのことも、今はやりたいことができていますか。
畑を借りることになったからハーブを育てよう、ラベンダーの花がたくさん咲いたからアロマのワークショップをしてみよう、今治の協力隊OBの島香房さんが化粧品の製造販売を始めたから石鹸を作ってもらおう、という感じで、いつか島ならではの商品ができたらいいなとぼんやり思っていたものが、周りにいる人や環境のおかげで実現し始めたところです。
ただ勢いで始めてしまったので、実は商品作りの意義のようなものを考えていませんでした。でも今は少し見えてきたことがあります。高齢化で耕作放棄地が増えて土地が荒れてしまったり太陽光発電に変わってしまったりという島の課題です。小さくても自分が畑や米作りを続けること、商品を作ることが島の緑を守ることにつながるのではと考えるようになりました。難しく考えるよりもまずは私が楽しく島で暮らして、そういう暮らしもいいなと思ってもらうことも大事かもしれません。これはライフワークにしていきたいと思います。
Q. 今後やりたいことはありますか。
今がとても充実しているので、この生活を無理なく続けていきたいなと思います。同じ島で暮らす友人たちともよく話しますが、島で楽しく暮らしていくためにできることをみんなで実践していきたいと思っています。
米作りもそのひとつです。私たちの田んぼは、もともと田んぼだったのが耕作放棄地になって雑木林のように荒れていました。そこを開墾したら、向こう側の山の景色が見えて、地域の風景が変わったんですよね。田んぼにカワセミが来たり、キジが卵を産んだり、カモが子育てしていたり、そういう風に自分たちの行動が環境の一部になれているのがうれしいです。みんなで工夫して実行して、失敗しても楽しめる。それも島暮らしの楽しみ方かなと思ってのんびりやってます。
島の友人たちととりくむ田んぼと畑で育てたラベンダー、ラベンダーから採った製油