地域おこしにおける手法と目的とは

 日直えひめ暮らし、なべしまです。

 ぼくが住む大三島では、例年ゴールデンウィークには島内道路が渋滞するほどのたくさんの観光客が訪れます。しかしながらコロナ禍の状況から、今年は静かすぎるほどの時間が島には流れていました。客商売をする身にとっては苦しい現状ではありますが、静寂に包まれた島も、これはこれでたまには良いものだなと軽トラを走らせながら感じていました。

  今回のブログでは、地域おこしにおける「手法」と「目的」について、少しばかり書き連ねたいと思います。どうかご拝読を。

みなさんは、地域づくりや地域おこしというと何を思い浮かべるでしょうか。観光客を誘致すること、イベントをすること、交流人口を増やすこと、空き家対策をすること…色々と思い浮かぶ言葉は多いと思います。どれも地域おこしにはとても大切な取り組みで。答えは人と地域の数だけあるでしょう。しかしながら、少しご注意をいただきたいのが、地域おこしにおける「手法」が「目的化」してしまう現実があるということです。

「観光客を増やして地域を盛り上げたいのに住民意識が低い」

「イベントをやりたいのに地域住民がついてこない」

「交流人口を増やせば地域おこしになるのに理解してもらえない」

 全国の地域づくりの現場に触れていると、よくこんな声を耳にします。決して声を上げている人が間違いだとは言いません。むしろ、熱意もあって一生懸命に地域のことを考えているからこそ出てくる言葉であることは間違いありません。ならばどうしてその熱意が反映されずに、地域とのすれ違いや温度感が生じてしまうのか。それは、先に上げた、地域おこしの「手法」が「目的化」してしまっているが故に起こることが大半であったりします。

 観光客を増やすこと、イベントをすること、交流人口を増やすこと。これからは地域おこしという大きな「目的」を達成するためのあくまで「手法」です。そして、成功であれ失敗であれ「手法」を用いて「目的」へ至るプロセスにこそ、地域おこしの本質が隠れています。そのことを頭の片隅に置いておくと、その手法が果たして地域にとってベターな選択であるのか。もっと別の手法があるのでは、と思考を巡らせる心の余裕が生まれます。地域おこしに取り組むにあたり、心の余裕を持ちながら広い視野で地域を見つめ、地域と歩みを共にすることはとても重要なことです。

 地域を深く知り、地域に寄り添い、目的を共有して、色んな手法で挑戦する。そんな優しい地域おこしの考え方が、日本に広く浸透していけばいいな、と感じています。