生きるを楽しむ暮らしを求めて

愛南町地域おこし協力隊 柳田 亮介さん

 愛媛県の最南端に位置する愛南町、北部には山林が広がり、西南部の海岸線はリアス式海岸を形成する。温暖な気候のもと、内陸部では愛南ゴールド等の柑橘類ブロッコリーの生産が、沿岸部では豊富な水産資源を活用した漁業養殖がそれぞれ盛ん。そんな愛南町で水産資源の活用に取り組む地域おこし協力隊が柳田亮介さんだ。

愛南町地域おこし協力隊 柳田 亮介さん

バラエティに富んだ人生

 愛媛県松山市出身の柳田亮介さんだが、父親が転勤の多い仕事だったため幼少期は全国を転々としていた。小学校からは松山暮らしだったが、大学で大阪、就職で東京へとフィールドを広げていくことになる。最初は総合商社に勤めたが、その後飲食業に身を置きたいと転職、うどん屋などで勤める。数年後、高松でうどんの修行をするために一旦松山へ帰ってきたところ、早期定年退職した父親が起業しそれを手伝うこととなり再び松山に定着。この間に県内での地方移住を意識するようになる。10年ほど経ち、再び上京するも、直後に東日本大震災を体験することとなる。震災後も東京で暮らしていた亮介さんは、知人の紹介でウェブ関連の仕事をしていた。具体的には、コーダーとよばれるプログラミング言語を使いウェブアプリを作成する仕事で、この知識とノウハウを得ることで、フリーランスで稼げるようになったという。

 松山に戻ったあともフリーランスの仕事が順調に進んでいたが、2016年の春、関係も深く愛してやまないうどん屋の大将の訃報があり、一念発起しそのうどん屋を継ぐこととなる。精力的に人気店のうどん屋を経営していた亮介さんだったが、完全手打ちうどんの作業負担からか腰をひどく痛めることとなり、再起を図るも全快することはなく、新型コロナウイルス感染症が流行りだしたころ、うどん屋は閉店することとなった。

 再度フリーランスのコーダーとして復帰し、生業として仕事量が安定してきた頃、満を持して移住に舵を切ることになった。ネット環境さえあれば場所を選ばないコーダーという仕事と、うどん屋の閉店により店舗に縛られることがなくなったこととが相まっての、必然の選択だった。
 移住先選定のための情報収取の過程で、気になっていた愛南町で募集していた水産振興の地域おこし協力隊に応募し、かくして2022年7月から愛南町での暮らしが始まった。

地域おこし協力隊としての移住

 東京が大好きだった亮介さん。今でも東京は刺激的で好きだというが、紆余曲折の人生の中での偶然の出会いから、幾度も自然豊かな地方暮らしを考え、移住先のリサーチなどをしてきたという。移住先の候補はその長い検討時期の中で様々に変化してきた。愛南町を選んだ理由は、身近に釣りができる環境というほかに、出身者だった友人の人間性を通じて愛南町に魅力に感じていたことも大きかった。水産振興というミッションにも興味があった。

「地域で生きるには、まず自分を知ってもらわないといけない」

 これは亮介さんの信念のひとつ。この点において地域おこし協力隊であることに大きなメリットを感じている。着任から約半年、住まいに関してはまだまだ定住が見える段階ではないが、これからも活動を積み重ねていきたいと思っている。

色々な場に顔を出して交流する柳田さん

ウニに恋して

 水産振興というミッションだった亮介さん。しかし内容は幅広く、水産振興に関わることであれば何でも活動にできたという。色々な構想を抱き着任したが、いちばん興味を持ったのはウニッコリーだった。ウニッコリーとは愛南町と愛媛大学が4年をかけて開発したウニだ。

 南予地方のリアス式海岸の湾内では藻場を荒らすガンガゼウニが増殖し問題となっていた。毒のある長いトゲをもつガンガゼウニが増え過ぎ、海底の藻を食べ尽くし磯焼けをおこすと魚たちが産卵する場所がなくなり魚も減ってしまうのだ。しかもこのガンガゼウニは可食部分が少なく苦味やえぐ味が強く、食用とされることはなかった。
 ところが研究の結果、捕獲したこのガンガゼウニにブロッコリーを与えると苦みやえぐ味が少なくなり甘味が増してまろやかになることがわかり、駆除対象だった厄介者が一転、水産資源となり始めたのだ。実はブロッコリーは愛南町の特産品のひとつで愛媛県の生産量の約半分が愛南町産である。ブロッコリーは出荷の際に茎の太い部分を切り落として廃棄している。その廃棄した茎をガンガゼウニに餌として与えるのだ。未利用資源同士の夢のコラボである。さらに出荷前の1週間ほどの間は、ブロッコリーに加えこちらも愛南町の特産品である愛南ゴールド(河内晩柑)を与えることでほのかな柑橘の香りも付き、商品としての価値は一層高くなった。

 ウニッコリーにはシーズンがあり産卵が終わる7月から11月にかけては採ることができない。7月に着任した亮介さんは、着任してすぐのころシーズン最後のウニッコリーを食べる機会があり、その美味しさに大きな可能性を感じたという。話を聞いていくうちに想像以上に手間がかかることを知ったが、それが故に担い手は少ないだろうと思い、地域おこし協力隊としての活動、ひいては卒業後の生業のひとつとして考えるようになった。
 12月となりシーズンインしてからは畜養用のカゴを借り、ウニッコリーの畜養に励んでいる。

「いい色にしたいんですよね」

 いま課題としているところは可食部の色味だ。味は申し分ないウニッコリーだが、一般的な食用ウニと比べ色味が悪いという。きれいな黄色味を出させるために、ニンジンを与える実験をしてみた。しかしどうもお好みではないらしく思ったように食べてくれない。「ニンジン作戦は失敗でした」と笑う亮介さん。上手くいかないことですら楽しくて仕方ない。ウニに対してワクワクが止まらない。そんな気持ちが溢れ出ているようだ。

いまはウニッコリーを育てることに夢中

ゼネラリストな活動

 ほかにも地域おこし協力隊の活動として、ぎょしょく教育の普及愛南ゴールドの活用特産品としてのうどん作り、に取り組んでいる。将来的にはジビエも視野にいれて狩猟免許を取得したところである。これからは海業(うみぎょう)の振興も進めていきたい。海業とは水産に限らず、観光・飲食などといった海に関係する地域資源を活かしていく産業。本来のミッションは水産振興だが「水産以外でも興味あることはどんどん取り組んでほしい」と町のサポート体制はバッチリだ。

 特産品の愛南ゴールドにも大きな可能性を感じ、青果だけでなく皮などの活用にも頭を巡らす。また、専業としてのうどん屋は腰を痛めリタイアしたが、兼業程度の負担であればスキルを活かしたうどん作りも再び取り組みたい、そんな想いから愛南ゴールドうどんの開発にも精を出している。

水産資源の加工やうどん作りなどの拠点となっている「うみらいく愛南」。廃校を活用した施設だ。

 愛南ゴールドの皮を乾燥機で乾燥させ粉砕して愛南ゴールドパウダーを作り、うどん生地に練りこんでいく。愛南ゴールドは爽やかな香りが強い、しかし同時に和製グレープフルーツと言われるように独特のえぐ味もある。香りを活かしえぐ味を抑えるパウダーを作るために、これまた地道な実験とテスト製作を繰り返している。また、うどんへの配合量も変えて試行錯誤している。ここは元うどん屋の腕の見せどころだ。

 海業の振興という幅広い視野で考えると、人生経験豊富なゼネラリストである亮介さんはピッタリな人材と言える。いや、むしろ亮介さんの持つ素地が海業の振興という境地を切り開いたのだろう。

地方暮らしも多業で

 海業という多様な活動を展開していく亮介さんだが、任期後を見据えた暮らし方・働き方にはポリシーがある。それは「生きるを楽しむ」ということ。また「生きることは食べること」とも亮介さんは言う。つまりできるだけ自然界から食べ物を得るということだ。水産資源も農林資源もジビエも、それらが豊富に存在する愛南町は魅力だらけなのだ。
 しかし自給自足というわけではない。必要なお金は無理なく多業で稼ぐ。それぞれは高額でなくてよいが収入源は5つくらいは欲しい。自分が食べるだけでなく、ウニや愛南ゴールド、うどんなどで多角的に収入を得る。さらにフリーランスのコーダー業は、遠く離れた都市部からITによる売り上げを狙える貴重な副業になる。

 亮介さんはこの目指す生き方を「セミリタイア」と命名している。暮らしと仕事の境界線を曖昧にして全てを楽しんでいくスタイルだ。よくONとOFFとの境目がないということが地域おこし協力隊の悩みの上位に挙げられるが、そのような環境は亮介さんにとってむしろ最高の助走期間なのかも知れない。とは言え、このセミリタイア生活は任期満了してからが本格的なスタート。きたる日のために毎日を楽しみながら準備を進めている。