日直えひめ暮らしのチヂキです。今日は、わたしが協力隊として過ごした3年間で大切にしていたことについて、書いてみようと思います。
それは、自分と自分の活動や生活をときどき見つめなおすこと。見つめなおすといっても、わたしの場合はしっかりその場や時間を設けていたわけではありません。日々の中で、活動やくらしをいろいろな見方でみること、を心がけていました。
たとえば、いろんな方向から見てみる
車や自転車が日々行きかうしまなみ海道の橋。いつもは車で走り抜ける橋を下から見てみると、思ったよりもシンプルで、でも力強い構造が見えます。
協力隊。移住者。よそ者。若者。見る立場や比較する相手で、見え方や表現は変わります。
自分以外の目で見たときにどう見えるのか。それを考えることは相手の立場に立つことや、伝わりやすい表現をすることにつながります。自分がどう見られているか、見てほしいところをどうしたら見てもらえるのかを考えることになるだけでなく、あまりの多様性に、見られ方を必要以上に気にしなくなるというメリットも。
たとえば、動く速度を変えてみる
しまなみ海道の島々には、島四国という四国遍路の縮小版の文化があります。ここを、歩いて回ってみると、普段車や原付で走り抜けている島の景色がガラリと変わります。自転車に乗るとまた違う景色が。
速度が速いと気づかず通り過ぎていたものが目に止まったり、声をかけてくれる人がいたり。逆に車で駆け抜けたことで、いつもは見逃す夕焼けに出会えることも。
速度を変えたり、ときに立ち止まることで見えるものは、どんどん進むことよりも多くをもたらしてくれたように思います。 速度を変えることで一緒に走ってくれる人に出会えたりもします。
たとえば、俯瞰で眺める
鳥瞰、とも。遠くから全体を、自分の意図が及ばないくらい遠くから、客観的に見てみること。ものごとに集中すればするほど、のめり込めばのめり込むほど、視野は狭く、集中的になっていきがちです。その狭い範囲を重点的に見る目は、ものごとを遂行する上ではとても大切だけれど、同時に大切なものを見逃してしまうことも。
目線を体ごとぐっと引いて、遠くから見てみると、全体で見た時のバランスをはかれたり、気づかなかった違和感に気づくことが出来たりします。中心に関わるものごとほど、広い視野は必要かもしれません。
ときに地域を地域の外から眺めることも、俯瞰のひとつ。ヨソモノの目を持って地域に入った協力隊も、地域との濃厚なかかわりで良くも悪くもヨソモノ目線を見失ってしまいがち。思い切って地域の外に出て、改めて外から地域を眺めてみると、移住前や地域の中では見えなかったものが見えることもあります。
きっかけも気づきも些細なこと
自分を見つめなす、そんな機会を定期的に持つことが出来ればいいのかもしれませんが、わたしはなかなかそういう時間を持ててはいません。それでも、イベントに参加したり、研修に出席したり、人と話したり、自分ではないものの見方、考え方に触れることが、いろいろな目を養うことにつながってきました。新たな目を得たら、その目で自分自身や、活動や、暮らしを見つめなおしてみる。そうすることで、自分でも気づいていなかった、見えていなかったものが見えてくることがあります。
今回は見方を中心に書きましたが、話す、書く、表現するといったアウトプットから、気づきや見つめなおしのきっかけを得ることも多くありました。どんな形であれ、自分を見つめなおすきっかけや時間をもつことは、活動だけでない、自分の暮らしや地域の在り方のために、大切なのではないかなと考えています。