外から来たから気づくこともある。


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 こんにちは、しまなみ大島の千々木です。

 島は今治の街中よりも少し寒く桜が咲くのも遅いのですが、桜が咲いたと思ったら次々に春の花が咲き、芽吹き、タケノコやツワブキが最盛期を迎えています。島を散策したりサイクリングしたりするにはいい気候なのですが、今年はそうもいかないのが苦しいところです。

 大島には、島四国遍路という200年ほど続いている文化があります。四国八十八か所遍路をぎゅっと小さくして、大島の中に88か所の札所を設けています。新暦4月第3土~月曜日の3日間が島四国遍路の日で、その日には各札所でお茶やお菓子などのお接待をお遍路さんに対して行います。今年は、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、残念ながら中止になってしまいました。 ずっと続いてきた伝統だけに、地元の方々も泣く泣く、という感じでしたが、今は辛抱の時ですね。

http://shima-shikoku.com/tebiki.html

 今年は中止となりましたが、私の島四国の思い出を少し。

 移住してすぐ、お手伝いという名目でお邪魔した遍路市に向けての準備は、地域社会、というものに馴染みのなかった私にとって衝撃的でした。腰が曲がってふらふら歩いていたおじいちゃんは梯子に上りだし、おばあちゃんたちは海辺に並べたまな板でどんどん野菜を刻んでいく。 年配の方々が中心に、毎年の恒例行事を作り上げていく様は圧巻。 男女の役割の区別がはっきりしているのも、地方ならではだな、と感じました。

札所の前にお遍路さんが休憩するテントを立てる島の方々。
接待にもぶりめし(混ぜご飯)をつくる島の方々。並んで料理している姿がかわいらしい。

  協力隊として地域の助けになることをしなければ!と思っていた当時の(やる気がから回っていた)私は、自分のできることのなさに愕然としたのを覚えています。

 あまり必要とされても居ないのかもしれない、地域の人たちは、自分たちでできることをしていて、それで成り立っている。私がやることでもっと効率的にできることもあるかもしれないけれど、それは地域の人のできることを奪うことにしかならないのではないか。それ以上に、島という地域において、私ができることはあまりに少ない。

 そう思った私の落ち込みを吹っ飛ばすように、私が移住してきたこと、移住してきた私が地域の小さな行事をのぞきにきたこと、準備のひとつひとつに目を見張り珍しがること、そんなことを、地域の方々は喜んでくれたのです。

 島四国遍路で外からくる人をもてなすために、数日前からこれだけの準備ができる島の人たち。そこで私のようなヨソモノが担う役割は、外から来た人にとって珍しいこと、面白いこと、いいなと思うことを、そのまま伝えることなのかもしれないな、と思った最初のきっかけでした。

次の人への道しるべとなるように。

 私が移住してきたときには、協力隊のOBOGをはじめ、多くの先輩移住者がいらして、外から人が来ることはいいこと、という地盤を築いてくださっていました。今度は私もそこに加わる番だな、と気が引き締まる思いです。

道案内の札。随所に案内や矢印があるので山道でも迷わない。
心和むことばも。何十年前からあるのだろう。