この集落に生きる覚悟で、いまがあります。

地域おこし協力隊OB 今治市上浦町(大三島)  鍋島悠弥さん

1987年大阪府豊中市生まれ。近畿大学農学部、大学院で農村地域の観光開発を研究。大学院を卒業後の2012年、大三島の地域おこし協力隊に。現在は、「農村ゲストハウスさかりば」のオーナー、「さかりば農園」を営むほか、協力隊のアドバイザー、移住相談員などを務める。一般社団法人えひめ暮らしネットワーク副代表。

瀬戸内海に浮かぶ「大三島」。その北端に位置する集落の「盛(さかり)」を屋号に入れたゲストハウスを運営する鍋島悠弥さんは、島の地域おこし協力隊出身です。

大学、大学院時代で、沖縄の離島や奈良県の明日香村など、各地で「農村観光」のフィールドワークに励むなか、芽生えたのが「もっと地域に溶け込んで、地域づくりがやりたい」という熱でした。

地域の一員になりたい、強い想い。

「地域のために動く仕事」をウェブ上で探し、見つけたのが「地域おこし協力隊」。2012年、大三島へ。「瀬戸内海の雰囲気、島の雰囲気とここで暮らせたらしあわせだろうな、という不思議なほどの安心感がこの島から感じました」

社会人経験がないまま、協力隊になった悠弥さん。いざ、活動をしてみると、知識だけを蓄えた“若気”のやる気が、島民との軋れきを生みます。「あれしたい、これしたい」という一方的な想いは、これまで島で築かれてきた暮らしや守ってきた文化に、なじみませんでした。

「過疎の地域では、若者は大歓迎されるものだと勝手に思い込んでいたんです。でも皆さん、元気で、たくましく生きている。ぼくみたいな若者がいなくても大丈夫なのだ、ということに気付いてからは『やりたいこと』を“封印”しました」

それからは、草刈りといった日々の行事ごとを最優先に、飲み会も最後のひとりになっても付き合うぐらい、島の日常を大切にするように。すると次第に、島民の方から悠弥さんに地域の相談ごとが持ちかかるようになっていきました。

協力隊の経験がじぶんを成長させた。

島の暮らしと人々に寄り添うことで、少しずつ信頼関係を築いていった悠弥さん。協力隊の3年間を「人間的に成長させてくれた」と振り返ります。

「チャラかったじぶんをちゃんと怒ってくれるひともいて、この集落のひとたちのおかげで、人格的に成長できました。3年間、成果として胸をはるようなことはないけれど、本気で地域のひとたちと向き合ったことに対する自信はあります」

いまの心に支えになっている出来事もありました。向かいに住んでいた独居の「おじいちゃん」が、90代でこの世を去ります。最期に気付かなかったことでじぶんを責める悠弥さんに、親族が伝えたのはお礼の言葉でした。

「あなたがそばで暮らしていて、最期の1年はしあわせだったとおもいます、と言われて。ぼくがここに住むだけで役に立てていたのだな、たとえ地域のために成果を出さなくても、ぼくが存在する価値はあるのだなと思えました。そう思えたことが、協力隊時代の一番の収穫だったかもしれません」

自然とできていくなりわい。

退任後は、協力隊時代から、柑橘の園地を借りてレモンを栽培してため、2年間、農業の研修に励みます。農業は「じぶんには向いてない」のに取り組んだ理由は「島のひとと同じ土俵で会話ができると思ったから」。農業をじぶんのなりわいにするために、「体験型にしてみよう」と考え、「だったら宿泊施設も必要」とはじめたのが、ゲストハウス。

「この集落で生きていくと決めたとき、周りから形成されていった仕事が多いです。でも、いまの暮らしが愉しいので結局、やりたい仕事だったのかもしれませんね」

現在は、集落の自治組織の役のひとつ「使丁(こづかい)」を任されるまでに信頼を集める悠弥さん。その一方で、協力隊やまちづくりのアドバイザーとして、島外にも積極的に出かけます。そのすべて、集落のため。

農薬に頼らず栽培したレモンをつかった果汁も加工、販売している

「なぜこの集落にこだわるのかといえば、それは、ここに暮らすひとたちへの憧れかもしれません。いざというときに地域のために身を斬れるかっこよさや、グチグチ言わず、器量が大きく、生き様がかっこいい。ぼくもそうなりたい。10年、20年と集落が存続していくために、じぶんが役に立てるようにちからを蓄えておきたいのです」 悠弥さんが「憧れ」と敬う集落のひとたちと同じく、彼のその生き様もとても、まぶしい。その表情は、島で生きるひとの、温かさ、たくましさにあふれていました。