精いっぱい、この地域の“伝統”をつないでいく。

地域おこし協力隊 伊方町  橋田豊代さん

1977年、イギリス・エジンバラ生まれ。2歳のとき、宇和島市へ。宇和島東高校を卒業後、広島大学法学部へ進学。針メーカーなどで勤めたのち、2018年から愛媛県伊方町の地域おこし協力隊。「裂き織りラボ」を主宰するなど、精力的に活動している。

愛媛県の西側に位置する、宇和海に突き出した佐田岬半島。この細長い半島のうつくしさ、伝統技法「裂織り」に魅せられて、伊方町の地域おこし協力隊になったのが橋田豊代さんです。

風景、「裂織り」の精神に魅せられる。

「裂織り」とは、使い古したり、使わなくなったりした布をつかった技法。伊方町で「オリコ」「ツヅレ」などと呼ばれる伝統の技を守ろうと、「裂き織りラボ」を開いています。

豊代さんは、父親のしごとで2歳まで海外で育ち、その後、両親のふるさと宇和島市へ。高校を卒業後は、広島大学に進学します。

在学中に1年間、バックパッカーとして世界中を旅したり、卒業後は輸入食品を扱う店長を務めたり、広島では第2号となる民泊を開き、5つ星を獲得したりと、とにかく、さまざまな人生経験を積んできたひと。 「それでも、わたしのなかで『これだ』と思えるものにはめぐり逢えませんでした」

広島の地場産業である針メーカーに入社してから、次第にじぶんの「好き」に近づいていきます。もともと手芸が得意だった豊代さん。針の開発に関わり、国内外の手芸作家さんと公私で交流することで、縫いものの世界に入っていきました。

一度、人生をリセットするために、針メーカーの会社を退社。そんなときに知ったのが、愛媛の「裂織り」。2018年2月、伊方町にある裂織りの体験施設「オリコの里 コットン」をめざします。宇和島で14年間過ごしたものの、一度も足を運んだことがなかった伊方町。国道197号から「オリコの里」までをめざす道中の山並み、宇和海のうつくしさに惹かれ、小学校跡地に立つ木造の「オリコの里」が醸す雰囲気、なかに入って立ち並ぶ織り機の佇まいにも胸を打たれます。そして何よりも衝撃を覚えたのは、裂織りそのもの。

「古い布を裂いて織る。工場で薬品などを使うリサイクルではなく、指先のちからだけでリサイクルができるし、しかも前より丈夫になって生まれ変わるというその技法に、人生観が変わるぐらいびっくりしました」

滞在時間わずか4時間の、弾丸、衝撃の旅から1週間もたたず、伊方町役場へ電話をかけました。「地域おこし協力隊として、ぜひ裂織りに関わりたい」。その熱意が伝わり、協力隊に採用されました。

教室を開き、仲間をつくる。

4月に伊方町へ移り住み、6月から協力隊の活動がはじまりました。

裂織りをつかったまちづくりプランで、地元銀行のビジネスプランコンテストに応募したのは着任からたったの2か月後。伝統産業奨励賞を受賞し、愛媛代表として四国大会に出場を果たすという、最高のすべり出しを迎えます。ただ、プランはプラン。詳細に練っていくうちに、実現するには仲間が必要だと気づきます。

そこで豊代さんがはじめたのが、織り子さんを育てる場の「裂き織りラボ」。卓上織り機10台をそろえ、公民館で週1回、参加者を募って教室をはじめました。自宅に眠っている布を持ち寄って作品をつくる。そんな活動を地道に続けて1年がすぎ、「伝統を残す道」の考え方が変わっていきます。

「織り子さんを育て、商品をつくって売るということが伝統を守ることなのではなく、古いものを再生させるといった裂織りの技法の根本のことを伝えることこそ、大事なのではないかと思ったのです」

学びや体験の場をつくりたいと、2020年2月、元協力隊のメンバーと2人で起業。裂織りだけではなく、この地域に移住したいひとたちのために、シェアオフィスだったり、販売拠点、情報発信ができる場だったりと、多様なまちづくりの拠点になることをめざしています。

なりわいの種をまくための、一歩

「このまちに暮らして気付いたのは、地域のひとたちの一人ひとりのポテンシャルの高さです。網をつくったり、小屋をつくったりと本当に何でもできる。地域の皆さんにも先生になってもらう場もつくっていきたいです」。会社名は「コーロク株式会社」。南予地域の方言「合力(こうろく)」という「助け合いの精神」を意味する言葉をつけたのは、地域のひとたちとも一緒に場をつくっていきたい、という想いから。

100年以上前の「裂織り」の着物を見せてくれた。いまでも傷みがない

裂織りに留まらず、その感性と情熱で、地域というタテ糸にいろんな糸を織り込んでいく豊代さん。伊方町の未来図がその手ですこしずつ、鮮やかに、豊かに、織られていきます。