内子の町並み保存地区にお店『内子晴れ』をオープンして約3年間
町のことよりお店を回すことが第一義になってしまっていたなと振り返る。
町並みにはいたのに、町並みにいただけでした。。。
内子の暮らしを紹介していきたいはずなのに、自分がこの町に暮らすということから離れてしまっていたなと。
小さな試み
まず内子の町並みでは車移動でなく、歩くことを意識するようになりました。
内子で暮らすってどういうことだろう?そもそも暮らしてる人の目線に立てないと、そこに住む人とちゃんとしたコミュニケーションは取れないのではないか。
『学ぶこと』と『少し近寄ること』
最近ちょっと初心に戻るというか、戻されたというか。
先日早速歩いてみた。
内子の豪邸の広くて素敵な日本庭園を内子町の造園屋さんが手入れをしていた。
また町並みの広場の花壇の手入れを町の人がやっていた。「もぐらから土を守っていくためにも土を乾燥させないことが必要で、水を撒かないといけないのだ」と炎天下で1時間くらいやっていたそうな。誰かがやらないと景観が崩れてしまうと。
誰かに強制してやってもらうのではなく、そういうことが大事だと思う人が自主的にやるようになっていくことを望んでいた。
そういう些細な一つ一つのことが景観を作り、住む人や関わる人がいてこそ町の価値を維持したり高めたりすることができる。そしてまた同じように下げたりもしていく。
となると、過去を振り返っても、町を守ろうと動いてきた人と、住んでる人の暮らしや気遣いが今までの価値を作ってはずだし、これからの暮らしが、これからの町の価値を高めたり下げたりするわけです。
ほんと細かいところ一つ一つちゃんと意味や価値、経緯を把握していることが大事なのだと理解できるようになってきた。
今までのことをきちんと理解することがまず大事で、その上で意識して価値を維持そして高めていけのであれば、きっと肌感覚で町に誇りが持てるようになるのだろうな〜。
まちづくりって現在進行形なのよね。今していることひとつひとつの積み重ね。
町だけじゃなく、山や村もそう。建物一つとってもそうだし、人生も同じですよね(ちょっと大袈裟ですかねw)。
前にも思ったけど、やぱりこういう小さい町だと、一人一人の行動がダイレクトに影響を与えていく。そこを楽しいと思えるか、そこに責任や熱量を持てるかどうかなのでしょう。
とにかくアンテナを張りながらゆっくり町歩くというのはとても大事だなと思いました。人と出会えて、いつでも立ち止まれて景色を一番じっくり見れるのできっと気づきは多いことでしょう。大切にしていきたいですね。
町並みというものに“興味・関心”がなかったと気づかされた最近。
・どのような社会的背景があり、どのような思いが重なり合い町並み保存が成り立って行ったのかをきちんと理解していくこと【過去】
・町並みに住む人々の思いと暮らしを把握すること【現在】
をきちんと抑えながら
・今後この町並みはどのようになっていくことが望ましいのかを考えていくこと【未来】
どういう風に“まちづくり”をしていくのか、していけばいいのかを今一度整理していけたらと思います。
そんな気持ちで今後【町並み日記(仮)】的なものを書き溜めていけたらな~と思います。