新居浜市地域おこし協力隊 森野 嘉丈さん
新居浜市の北東約1.5キロメートル沖にある大島は、周囲約9.8キロメートルの島だ。約100世帯150人弱の人が暮らしており、四国本土の黒島港まではわずか15分。
大島の特産品は、さつまいもの一種である白芋で、その甘さや希少性から「七福芋」と呼ばれている。
地域おこし協力隊として大阪から移住した森野嘉丈さんは、白芋の生産を中心に活動している。
島の開墾に憧れて
ボートレーサーを目指したり、USJのメンテナンススタッフをしたり、ダイビングショップで働いたり、鍼灸師の学校に通ったり。仕事を転々としながらも常に自分がわくわくすることを追い求めてきた。
生まれ故郷であり、ずっと暮らしてきた大阪を離れようと考えた時も、バイクで走るのが気持ちいい場所へ行きたい、という動機だった。
それならば西へ、フェリーが出ているなど大阪へのアクセスがいい愛媛へ、と考え、大阪で開催された愛媛県の移住フェアを訪れた。新型コロナウイルスの感染拡大直前のことだった。
第一次産業に興味があると伝えると、新居浜市が農業に取り組む協力隊を募集していると紹介があった。
「開墾大好きです!鉄腕ダッシュ見て憧れていたんです」
そう語る森野さんが惹かれたのは、新居浜の大島で収量が全盛期の三分の一にまで減ってしまった特産品白芋の生産というミッション。高齢化や人口減少に伴い農業従事者が減り、反比例して増えた耕作放棄地がイノシシの隠れ家になるなどの弊害も出ているという。
今白芋の生産に関われば日本で10人ほどの数少ない生産者になれるのではないか。その上、島暮らしはおもしろそう。そう考えた森野さんは、やる気たっぷりで大島へ。
着任当初は自分の農地がなかったため、すでに大島内で白芋の生産をしている人や団体のところへ出向き、手伝いをしながら白芋作りについて学んだ。
支えてくれる人たちとの出会い
自分の畑で白芋作りができるようになるまでは自分に何ができるのか分からず、戸惑いもあったという。そんな森野さんを支えたのが公民館長だった。地域のことを教えてくれたほか、一緒に食事をするなど、公私とも支えてくれたことで、精神的にも心強い存在となった。
島の人たちも、もともと若者が少なくなっていることもあり、子どもや孫のように、とても優しく、あたたかく受け入れてくれた。
「若者どころか、赤ん坊みたいに可愛がってくれますね」
住居として借りている家は、もともと地域の交流拠点になり人が集まったりイベントを行ったりしていたという広い家で、またそういった集まりができるようになるのも楽しみにしていることのひとつだ。
島の人の紹介などもあり、農地や白芋作りを教えてくれる師匠にも出会い、今年の6月には自分の管理する畑に約1,600本の白芋の蔓をさした。10月上旬から収穫が始まり、11月末には収穫祭をおこなう。
収穫が終われば12月には来年に向けた土づくり、3月頃からは種芋作りが始まる。
収量を増やすことができれば、加工品改発などの6次化や売り先も広がる。そのために多くの土地を農地にし、より多くの白芋を生産できるようになることを目指しているという。
愛媛で一番楽しんでいる協力隊かも?!
やるべきこと、やりたいことが見えてきた今、とても楽しく活動している。猟銃の免許取得やユンボの講習を受講するなど、白芋作りに欠かせないスキルを着々と身につけている。できることがあるのが嬉しくてたまらない。
「愛媛県内に数多くいる隊員の中でも上位に入るくらい楽しんでいるんじゃないかな」
そう笑う顔で、本当に楽しんでいる様子が伝わる。島の人たちにも伝わっているのではないだろうか。移住してきた若者が楽しく暮らしていることは、島の人にとってもうれしいことだろう。
任期後は、複数の仕事と組み合わせつつ、白芋の生産を続けていこうと考えている。
「活動もプライベートもとにかく毎日楽しんでいますね」
福祉ボランティアなどの活動を通し、移住してからの友達もできた。島に遊びにきたり、草刈りを手伝ってもらったりするなど、島の関係人口となってくれている。
怒涛のようにすぎた着任1年弱。
活動の中でも、暮らしの面でも、まだまだあるはずのできること、やりたいことを模索しながら、大島での白芋生産と自分の暮らしを形作っていく。
新居浜市HP https://www.city.niihama.lg.jp/
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