セカンドライフの挑戦。島でパン屋、めざします。

地域おこし協力隊 忽那諸島中島地区 山田健生さん

京都府生まれ。大学を卒業後、大手百貨店に勤務。11店舗で販売、販売促進などに携わった。2016年に早期退職し、1年間、パン教室で学ぶ。2018年4月から松山市(忽那諸島)の地域おこし協力隊となり、2021年のパン屋開業をめざしている。

松山市・高浜港からフェリーに乗り、瀬戸内海を進むこと約1時間。忽那諸島のひとつで、島民2500人ほどの中島(なかじま)に着きます。柑橘栽培がさかんな島で、パン屋をめざし、地域おこし協力隊になったのが山田健生さんです。

脱サラしてパンの修行をする。

健生さんは、大学を卒業し、大手百貨店に就職。転勤で全国各地を回りながら、33年間、販売や販売促進に努めてきました。昼食もとらずに客を優先するほど仕事に時間と労力を捧げてきましたが、「55歳になると希望の部署に残れない可能性もあり、元気なうちにパン屋になろうと決意しました」。

パンが好きで、休みのたびにパン屋めぐりをしていたという健生さん。大阪で働いていた2016年に会社を辞め、その後1年間、パン教室に通いました。

「お店を持つのなら、瀬戸内海が見える島で、と考えていました。広島・呉で働いていたころ、瀬戸内海のうつくしさ、穏やかさに惹かれ、この景色が日常にある場所で暮らしたい、とずっと考えていたのです」

島への移住を考え、大阪であった移住フェアに参加。その際、地域おこし協力隊の合同説明会もあり、愛媛県今治市の島や松山市(忽那諸島)でも募集が。「話を聞いて、もし協力隊になれば、開業する前に、じっくりと島の人たちと関係をつくることができるなと思いました」

大好きな瀬戸内海に移住する。

協力隊の資格で年齢を問わなかったのが中島を含む忽那諸島地域。説明会のときに流れた映像で、中島の景色が紹介され、「ここだ!」と直感します。面接で初めて中島を訪れ、健生さんの想いと、地域や行政の希望が合い、採用されました。

2018年、妻とともに中島へ。柑橘の樹々が並ぶミカンの島は、網目のように道路が走るなど、島の風情で溢れていました。

「イメージ通りでした。うつくしい瀬戸内海を毎日見ることができるなんて、ぜいたくです。ちょっとずつ海の表情がちがっていて、癒されます」

長年、都市部で生活してきた身にとって、島の生活は当初、不便に感じたそうです。

「ものがあまり手に入らないし、最初のころは週1回、松山のまちに出ていました。そのうち慣れてきて、いまは月1、2回ぐらいです。島の人間関係になじめるかも心配でしたが、フレンドリーな人が多いのには驚きましたね」

地域とつながる喜びを知る。

着任して1年間は、島の歴史や人、文化を知る期間に。2年目になり、この島で何ができるか考えるようになったといいます。いまは、パンの修行も兼ねて、月3回、自家製のパンを集落の集まりに届けています。

ある日は、高齢者サロンへ、チョコレートを練りこんだもの、ホイップがのったアンパンをお届け。健生さんにとっては、パンの好みのリサーチもありますが、地域の人たちとコミュニケーションをとる貴重な時間にもなっています。

「これまで転勤族というのもあって、地域のことも、近所の人も知らず、関わらずに生きてきました。いまは住んでいる場所の歴史を知ったり、島のおばあちゃんたちと話したりするのが愉しいです」

次に続きたいと思えるような存在に。

島では、夫妻で家庭菜園も始めました。無償で借りた畑で、野菜のほか、パン用小麦の「セトキララ」も栽培。じつは健生さん、パンで地元の特徴を打ち出そうと、地粉や地元の食材を使ったパンづくりに挑戦中。島には一軒もカフェがありません。自家焙煎コーヒーも提供して、イートインスペースを設けた店舗を2021年春の開業をめざしています。

「海の景色を眺めながら、島民と観光客がのんびりできる場所をつくりたいです。ぼくなんかでもパン屋ができるなら、ブリュワリーとかゲストハウスとかやる人があとにつづいてくれたらうれしいです」

好きなことを、好きな場所ではじめる、セカンドライフ。その暮らしが、中島の空気のように、ゆるやかにこの島の未来を変えていきます。