久万高原町 元地域おこし協力隊 江ノ上敦士さん
久万高原町は、愛媛県のほぼ中央に位置し「四国の軽井沢」とも呼ばれています。平均標高800メートルの町内には、高知県との県境にある四国カルストのほか、面河渓、皿ヶ峰、石鎚山などがあり、豊かな自然に恵まれている自治体です。
江ノ上敦士さんは2020年4月に久万高原町に家族で移住し、地域おこし協力隊として、道の駅「みかわ」で商品開発などを行ってきました。現在は独立し、道の駅での商品開発を続ける傍ら、キッチンカー「ちょ」の営業を主に四国カルストで行っています。
自給自足の環境は過酷だが充実した日々
Q:久万高原町を選んだ理由を教えてください。また、今の暮らしはどうでしょうか。
自分はどこでもよかったのですが、家族がここに住みたいと言ったので決めました。
今住んでいるのは、テレビ番組で取り上げられるような周りにほかの住民がいない一家族だけの集落です。
生活は楽しいですが、子どもの学校がちょっと大変です。毎日送迎が必要なのですが、楽しそうにしているのでよかったです。
僕の住んでいる家は、上水道が通っていないので沢からパイプを引いてきています。蛇口をひねれば当たり前に水が出る生活ではないので、それなりの覚悟とトラブルに対処できるスキルが必要です。ただ、それも含めて都会ではできない暮らしをしていると思います。
Q:1日のスケジュールはどんな感じでしょうか。
朝6時くらいに起床して、7時半に家を出て仕込み場へ。
四国カルストでキッチンカーの営業をする日は準備して10時くらいには現地に到着します。
曜日や天候にも左右されますが、ピークタイムというものがなくずっと来客が続くイメージです。ただ15時くらいにはお客さんも落ち着いてきます。
片付けをして帰宅すると19時とか20時になってしまい、そこから仕込みなどで遅くまで作業しています。
ゴールデンウィークやお盆の時期は繁忙期なので、余裕がないと深夜まで及んでしまうことがあるので、少しずつ仕込みのストックを作っておくようにしています。梅雨の時期は天気が悪く営業できない日もあるので、そういう日になるべく仕込むようにしていて、まさに恵みの雨といえますね(笑)。
独立は自由にできるがすべての責任も負うという自覚
Q:協力隊のときと今とで変わったことはありますか。
やはり独立したことです。協力隊時代は行政組織の一員だったので、上司の許可が必要だったり、売上もあくまで業務として発生したものだったので手元には残りませんでした。独立したことによって自由になりましたし、もちろんそれに伴う全責任も自分で終えるようになりました。特に、やりたいと思っていたことがいろいろな理由でできないということがなくなったことが大きいでしょうか。失敗しても誰も助けてはくれませんけどね。
Q:新メニューを増やしたりはするのでしょうか。
トキメキがあればですね。今、漠然と考えているのはシカです。
キッチンカーの屋号である「ちょ」が「いのしかちょ」になるかもしれませんね(笑)。元々、協力隊の時に開発したカレーも、害獣扱いされているイノシシだったり、形が悪くて出荷できないリンゴやトマトを使う方法としてひねり出したものでした。
そういった、一般の流通に乗らないものを使ってビジネスにしたいと考えています。それが自分のキモだとも思っているので、やはりトキメキが重要ですね!
キッチンカー営業に大切なものはロケーション
Q:これからキッチンカーをやりたいと思っている協力隊も多いと思いますが、メッセージはありますか。
メニューとか食材とかを重要視してしまいがちですが、一番重要なのはどこで売るかだと思います。いい出店場所があれば、そこに見合うメニューも出てくるでしょう。イベントやマルシェに出店する方法もありますが、ほとんどは土日ですし、生計を立てるには限界があります。
例えば食事の供給が追いついていない観光地とか。久万高原町でいうとまさにここ四国カルストですね。そういう場所が見つけられるかじゃないでしょうか。
とはいえ、マルシェ出店も新しいお客さんを見つけたり、気分転換になったりするのでたまにはいいと思います。
Q:最後に、今後の展望や野望を教えてください。
人が欲しいですね。人がいれば作業量も増えて売上も上がるし、今は自分ひとりなので忙しすぎます。もう少しスローライフにするつもりだったのに、全然できてません。田舎暮らしはスローライフだと思っている人も都会には多いと思いますが、思っている以上にハードだなと実感しています。当初想像したスローライフを目指していきたいと思います。