ちょうどいい、をみつける。

 こんにちは。日直えひめ暮らし、山口です。

すっかり梅雨本番。激しい雨が降る日が続きますね。 私の町では土砂崩れが発生し、通行止めになった所もありました。 みなさんの暮らす町は大丈夫でしたか?

 

不快指数のない、梅雨。

The sense of wonder の世界に・・・・

 

東京にいるころの梅雨は、湿気や雨だれの不快を感じることが多かったです。 電車の中は、濡れた傘と、人の熱気と、密着する人と人。持ち物も濡れるし、こもった空気の中で息をつめながら通勤していたことを思い出します。濡れたからだに冷房の風がきつく芯まで冷えてしまう。むくみやすい時季、不快や不調が増して職場に到着してしまいます。

今の暮らしで感じることは、大雨のあとの緑がものすごく鮮やかになること。 木々や草木に勢いが増すこと。呼吸するたびに、色がついているのではないかと思うくらい空気に緑の香りがすること。雨音が心地よいこと。1日中、この音を聞きながら、本と共に過ごしたい。そんな気持ちになります。

そう、季節が気持ちいいのです。地方は。

そして、この雨が作物を育てる恵みになる。蛇口を通じて、自分たちの潤いになる。農家さんの側にいて、畑が近い日々のなかでは、 巡りの中に生きていると感じることが出来るのです。あの雨までに、この苗うえなきゃ。相談もしないのに、それぞれが同じ野菜を植え、草引きしている風景。同じことを繰り返し生きてきた人たちのリズムは気候や天気と共に。

そして、せわしい(いそがしい)。季節や天気は待ってくれない。

答え合わせにつきあってくれる、自然。

光が反射して、まぶしい。鮮やかな色合いは、アニメや映画の一コマのようでもあります。

 

この写真は仕事で海沿いを走っていた時に、心をぐっと掴まれて撮影しました。打合せが重なり、色んな案件が頭を巡り、思考も堂々めぐり。まぁまぁ、ずっしりとした気持ちなのです。 それでも、この風景。この光。悩める事象が解決するわけではないけれど、やっぱりどこにいたいのか、その答えは間違ってなかったなって思える瞬間です。

ときおり、定点観測してみる。

美しい潮目、夏の日射し。海と空の間を、暑さで発生した水蒸気が、境目を曖昧にしていて、なんともいえません。

この海の風景も、協力隊の任期中は、仕事で関わる人たちを巡るルートには入っていませんでした。 でも、今はここを走ることが大切なことを運んでいるのです。 全く意図していなかったことでは、ありません。そのために重ねてきたことはあります。

でも形になると、はっとします。ちょっと前にいた場所とは、違うところにいる。自分も環境も世の中も変化して進んでいきます。だからこそ「自分のいま、ここ」をちょっと観察する時間をとるのって、いい振り返りになります。

 

ちょうどいい、の変化。

 

いまの自分にしっくりきて、心地よい。

これって、アタマで考えるより、五感や肌感覚としてカラダで感じる自分の声。

あなたのちょうどいい。 は、移住してきた時や2.3か月前と変化しましたか?

ちょっと前の自分と、それはどんな風に変化していますか?

新しい、が日常になる。

 私の、いまちょうどいい。は車の移動。

ちょっと前までは、日直の窓口までの移動が今までにはないことで新鮮でした。 いま、2か月ほどが経ち車中での約2時間の移動は、心地よい企画時間になっています。

朝早く、ひとりだけの時間の中で、好きな音楽を聴きながら、移り変わる景色と一緒に思考を漂わせ、企画をかたどっていく時間。 車移動の「前に進む。」「景色は常に変わる。」ことが、悩にとっていい刺激になる。

右には、お気に入りの飲み物。左には、Spotifyからの音楽。
高齢化率50%を超えた、緑や生き物の勢いが、人よりも目立つこの場所から1日を始めます。誰かにとっての不便も、今の私にはちょうどいい。

「ただの移動」にするか「自分がご機嫌でいれる時間」にするか。

どう「自分好みな時間をカスタマイズ」するか。

それは、自分次第。

ちょうどよい、の心地よさは

自分の選択の連続の、その先にあるのかもしれない。

そんなことを思った今日でした。

変容のときは、いつでも突然、そして満を持して選択の途中で訪れるから。

 

しばらく飼っていたお蚕さま。春嶺×鐘月という麗しい品種名。糸を吐き繭になるまえに、一度このように静止するのです。その時を本能で知っているようです。

 いま、ここ。

あなたしかしらない、あなただけのちょうどよさ。

あたらしい、自分。

えひめ暮らしで、それぞれにみつけていきましょうね。