地域おこし協力隊OB 伊予市双海町翠地区 本多 正彦さん
1973年東京都生まれ。大学卒業後、テレビ制作会社に就職。主にテレビ番組の編集業務に携わる。17年間の勤務を経て、2013年から3年間、伊予市双海町翠地区の地域おこし協力隊。地域の役を担いながら、協力隊や移住のアドバイザー、映像制作など幅広く活動している。
民間主導で移住支援を行い、全国的にも注目を浴びる伊予市。このまちで、協力隊時代から移住支援に力を入れてきたのが今回ご紹介する本多正彦さんです。
“ふるさと”への飢餓感を埋めたい。
東京都生まれの正彦さんは、大学を卒業後、テレビ制作会社に就職。17年間、おもにテレビ番組の編集を担ってきました。多忙なしごとに追われながら、頭の片隅から離れなかったのが、「東京は永住の地ではない」という想い。結婚し、こどもができたことで一層、強まっていきました。「いま振り返ると、じぶんには、地域と深くつながる『地元』『ふるさと』感がなかったのでしょう」
愛媛は、妻の故郷。気候風土が気に入り、帰省するときはかならず1週間ほど滞在。そのうち、愛媛への移住を考えるようになります。自治体からパンフレットを取り寄せては、田舎暮らしを夢想していた30代ラスト。そんなある日、伊予市の封筒に入っていた「第1回トライアスロン大会」のチラシに目が止まります。
田園風景に一目惚れする。
ハーフマラソンにも挑戦した経験がある、スポーツ好きの正彦さんは、競技への興味もありエントリーします。大会の前日に伊予市に入り、自転車コースの下見へ。山道を登っていく道すがら、稲穂が揺れる双海町翠地区の田園風景に心を奪われます。
「じぶんのこどもたちがここを笑顔で走っている絵が、ふっと思い浮かびました。何より、自転車で疾走する見知らぬおじさんに、部活帰りの中学生が元気な声であいさつしてくれたことに感激しました」
市役所の支所に、「どうしたらここに住めますか?」と電話したのは、大会の翌々日。ちょうど地域のまちづくり団体が移住支援に力を入れようとしていた機運もあり、「住む場所や仕事を探しておく」という前向きな返事をもらってから、当時住んでいた神奈川県川崎市へ戻ります。アクションを待って半年弱、伊予市双海町翠地区の協力隊を募集すると聞き、迷わず飛びつきました。
こどもと仲間を増やす、という活動。
正彦さんの双子の娘さんが通う伊予市立翠小学校は、愛媛県内で最古の現役木造校舎。来た当時は全校児童15名。この風景を守り、学校を存続するために、こどもを増やそう、地域の担い手になる同志を増やそう―。協力隊の「フリーミッション」だった正彦さんは、みずからの意思で移住支援に乗り出します。
「最初は、この土地で暮らしたかっただけで、まちづくりそのものには興味はありませんでした。でも、家族が暮らし、こどもたちが成長していく場所を少しでも良くしていくための力添えができるなら、取り組む価値はきっとあると思ったのです」
地域の声をすくいながら、移住希望者と地域のマッチングをはかったり、空き家を確保したり、丁寧なフォローを重ねていったことで、翠地区は県内でも人気の移住地に。現在は翠小学校の児童数も24名を数えます。
地域のことも、全力で愉しむのが正彦さん流。
「毎年、公民館(集落)対抗のソフトボール大会があるんです。そのあとの慰労会が目的なんですけどね。せっかくなら優勝祝賀会にしましょうって提案しました。最初は無理だと思っていた住民の皆さんも多かったんですが、声をかけた若者がこの日のために帰省したり、練習もしたりして、本当に優勝しちゃった。そしたら、連覇をめざしてさらに団結するし、そんなつながりが次々といろいろなところに、いい効果を及ぼすんですよ。地域づくりは課題から入って難しく考えるのではなく、愉しく盛り上げていければどんどん花開くことを実感しました」
求められること、幸せなこと。
協力隊の経験を、「本当にやってよかった。人生観が変わりました」と振り返る正彦さん。「この年になって、新入社員かのように、はじめての経験をたくさんすることができます。協力隊は、経験の宝庫。うまくできないことももちろん多く、それすら愉しくてしょうがありません」
任期を終えたあとは、伊予市の枠を超えて全国の協力隊をサポートする一方、農業や映像制作などをしながら、工事、農業の手伝いと頼まれごとはなんでも引き受けています。「地域の隙間産業を手伝う、というスタンスです」
協力隊時代から取り組んでいた、絵本の読み聞かせ、「ほたる保存会」、地域の大小の役など、多岐に渡るボランティアも変わらずに継続中。今年度からはさらに、小学校のPTA会長という役も加わります。
「断れずになんでも引き受けてしまうんです。でも、やったから分かることがたくさんあります。そして、これまでだれかがやってきたことへの感謝も生まれます」
「ふるさと」を求めて移住し、7年。すでに地域にとって欠かせない存在になった正彦さん。これからも、この地で生きるしあわせをかみしめながら、地域のその先を守り続けていきます。