守りながら、あたらしく。

鬼北町地域おこし協力隊 粟野 正臣さん

 鬼北町は、愛媛県西南部に位置し、西は宇和島市、東は高知県に接している。町の中央には四万十川の最大支流広見川の清流が流れ、周囲には山々が連なる、自然豊かな町だ。

 そんな鬼北町で、特産品の「泉貨紙の支援活動」をミッションとして活動しているのが、粟野正臣さんだ。

作業場の周りには長閑な景色が広がる。

あやしい魅力のある町、鬼北町

 粟野さんは、千葉県出身。進学や就職を経て、さまざまな仕事に携わりながらも暮らしの拠点は変わらず千葉県内にあったが2019年頃から、他県や異なる環境で働いてみたいという想いが高まりはじめたという。学生時代に日本の伝統文化とプロダクトデザインについて学んでいたが、就職先はそれらの知識やスキルを活かす仕事ではなかったこともあり、働き方に行き詰まりを感じてもいた。

 これまでの仕事にも、千葉県での暮らしにもない、新たな生き方を模索する中、愛媛県の移住フェアで出会ったのが鬼北町だった。

 旅行で訪れた際にいい印象があり、瀬戸内は移住先候補の一つだったが、鬼北町の名前は知らず、愛媛のどこにあるのかも分からなかった。当時、鬼北町の地域おこし協力隊だった早川優子氏(現鬼北町移住コーディネーター)に、とにかく一回来てみたら?と誘われ、一度行ってみよう、と足を運んだ。

 訪れてみると、そののどかさ、豊かな自然に「どこかあやしい、秘境のような魅力のある町」だと感じた。

 泉貨紙の支援というミッションも、学生時代に学んだ日本文化とプロダクトデザインの交点にあるようなものだと興味が湧き、地域おこし協力隊として2020年に鬼北町へ移住した。

紙漉きは紙づくりのほんの一部

 伝統文化やものづくりに関心があったとはいえ、泉貨紙の存在は鬼北町の協力隊のミッションを聞くまで知らなかった。

 泉貨紙は、「漉いた直後の2枚の紙を、繊維が絡み合うように貼り合わせて1枚の紙にする」という独特の手漉き和紙。厚みがあり、かつ剥がれにくい紙となっている為、色々な加工ができる。 

 泉貨紙づくりは、11月頃から、春にかけて約半年をかけて行われる。水を使う工程も多いので寒い時期に行う作業はとても大変だが、気温が低いことで雑菌の繁殖が防げる為、素材や道具の管理がしやすい。また、良質の紙が作れる諸条件が整う為、冬場に行われる。 

 冬の乾燥した空気の中、太陽の光にあてて乾かすことでハリのある紙に仕上がる。 

 手漉き紙というと紙漉きの様子をイメージするが、紙漉きに至るまでの工程がとても長い。材料となる楮(こうぞ)を切り、煮て、皮を剥ぎ、川に晒し、ゴミをとる。手間と時間のかかる、大変な作業だ。 

「手漉き和紙の製作工程において、”紙漉き”は、本当に一部分でしかない」 

 紙漉きに至るまでも、一つ一つを手作業で行い、形にしていくのは初めての経験ばかりで新鮮だ。

「今までの仕事の中で一番楽しい」

 もともと興味があったデザインやものづくりは、とても楽しく、やりがいがある。

 ものに向き合うミッションのため、活動の中で地域の人との関わることは少ないが、暮らす集落では消防団に所属しているほか、住民清掃などを通し、集落に関わっている。

材料となる楮の生産にも取り組んでいる。

使うことで生かし、残していく

 師匠として師事している紙漉き職人は、20年ほど前に鬼北町へ移住した元エンジニアという異色の経歴の持ち主。師匠が移住した頃には紙づくりをしていた人がまだ多くいたが、今では泉貨紙の職人の数は減り、保存会の数名が活動しているのみだという。

 減少する泉貨紙づくりの担い手になるだけでなく、泉貨紙の使い道を模索しPRしていくことも、粟野さんに課されたミッションの一つだ。紙漉きシーズンの冬以外の時期には、泉貨紙を活用した商品開発に力を注いでいる。

 人形を処分する際に弔いの想いを込めて人形を入れる箱やフラワーベース、ランプシェードなど、泉貨紙の質感や丈夫さを生かした様々なプロダクトの試作を進めている。

 2021年には、西予市の地域おこし協力隊、シーバース玲名氏が運営するゲストハウスの照明のシェードをデザインし製作。西予市でも泉貨紙が作られていることがきっかけで、コラボレーションが実現した。

「手漉き和紙だからこそ実現できるものづくりができれば」

 今後は、オンラインショップでの販売のほか、イベントでの販売などを通し、泉貨紙のPRを行なっていく予定だという。

 鬼北町に移住して約1年半。粟野さんの挑戦は始まったばかりだ。