植物を通じて大洲と人がつながることを目指して

大洲市地域おこし協力隊 中村 光一さん

 1992年東京生まれ。東京農業大学造園科学科卒業後、2年半の間、京都で庭師、半年の海外旅行、3年間千葉で有機農業作業を経験ののち、2021年から愛媛県大洲市の地域おこし協力隊として活動を開始。

 2022年7月から大洲の植物を使った花屋「THUGIKI」を起業。大洲の豊かな自然が育んだ植生を生かして、盆栽や花、庭の管理やデザインなどを行っている。

外の目から見た大洲市

 松山市から南へ50km。大洲市は伊予小京都と呼ばれ、風光明媚な城下町が肱川沿いに広がります。

 清流が育んだ肥沃な土壌条件や昼夜の温度差により県下有数の農林業地帯として発展してきました。大洲市の地域おこし協力隊として新規就農支援、6次化、グリーンツーリズム支援をミッションとするのが中村光一さんです。

 「日々活動をしていると、なんで東京からわざわざ大洲を選んだの?と地元の方に聞かれることがよくあります。農作物に関しても大洲には特産物が無いのに、、とネガティブに捉えている方も多く見受けられます。しかし特産物が無いということは、裏を返すと色々なものが出来る『豊かな地域』であるのです。外からの目で見ると大洲の豊かな自然や文化は当たり前は当たり前ではないということ、魅力がたくさんある地域だということを地域の方に知っていただきたいなと思います。」

 東京ではできないことを大洲でしたいという発想をきっかけに、鵜飼の船頭になったのもこの理由の一つです。鵜飼いは「古事記」や「日本書紀」にも記述がある昔ながらの漁法で、大洲の鵜飼は日本三大鵜飼のひとつに数えられます。

 お客様に川の水面をゆったり揺られながら楽しんでいただくために舵さばきを学びました。郷土料理、案内人の話術で盛り上がる会話、臨場感あるれる大洲うかいは魅力満載です。

今までやってきたことを生かして僕にしかできないことをしたかった。

 大学で造園を学んだのち、庭師としてのスキルを磨いた中村さんは、将来の生業つくりの一つにつなげられることとして盆栽や生け花の経験を活かして何かできないかと考えます。そこで大洲の植物や古道具を使って盆栽作りをスタートしました。花屋『THUGIKI』としてイベントに参加し、商品販売をしています。

 「正直なところ、Iターンでの就農のハードルはかなり高いと感じています。田舎暮らしに憧れを持つ人も多くいますが、生きていくために稼がないといけないのも事実です。そのギャップがなかなか埋まらず定住につながらないのだろうなと感じています。私が目指す現代の百姓も、その考えから生まれたものです。なかなか農業だけでは食べていくのは厳しい。それならばいくつかの生業があれば生きていけるのではとそんなビジョンが少しづつではありますが形になってきたことがうれしくもあり、一方で任期終了後に食べていけるだけの収入はあるだろうかと不安はあります。」

 農作物の価格変動の対策として、農業と並行しTHUGIKIの活動を進めている中村さん。

 「山の植物がお金になる仕組みづくり、花を飾る文化が大洲に根付くように、この小さな盆栽から広がってくれたらうれしいなと思います。」

大洲の文化や景観を活かして人が集まるような農業や地域をつくりたい

 将来の不安を感じつつも、出来そうなことはとりあえず提案してその中で反応が良かったものをやりながら活動をしているという中村さん。思いついた時に随時企画書を書いているそうです。

 その企画のうちの一つがこちら。

 肱川沿いに広がる五郎地区や若宮地区の農作地では、川が氾濫しても畑の境界線がわかるように植えられた木『ボケ』が河川敷に点在しています。その独特な景観を活かして人が集う場を作りたいと、ボケの木を剪定し、ブランコを設置しました。

 「大洲市の農業部門協力隊の一期生として、大洲の中山間に定住し、面白いことをやってる人がいると思われるようなモデルになりたいです。それをきっかけに大洲に興味を持ってもらい、移住候補地の一つになれば面白いのではと思っています。」

 植物を愛し、地元出身者でないからこその着眼点で大洲の風土を見つめる中村さん。

 大洲らしい文化を守っていくことが、自身のなりわいの種まきとなっています。