天空の里の恵みを瓶に詰め込んで 日本一のマーマレードは母の味

八幡浜市 地域おこし協力隊 田川花月光さん

八幡浜市地域おこし協力隊 田川花月光さん

 愛媛県の西端に位置する八幡浜市は、宇和海と瀬戸内海に面し、岬と入江が交差した美しい景観をなしている。リアス海岸で好漁場の海を取り囲むように、沿岸の山々には柑橘の段々畑が広がっている。温暖な気候と地形を活かした温州みかんは、質・量ともにトップクラスを誇り全国的に有名だ。八幡浜市は、柑橘栽培のさらなる可能性を広げようと2019年から、ダルメイン世界マーマレードアワード&フェスティバル日本大会を開催している。
 その大会のプロ部門で連続金賞を獲得した「高野地フルーツ倶楽部」(*以下、フルーツ倶楽部)で活躍している協力隊員が、田川花月光(はつひ)さんだ。移住体験ツアーをきっかけに、新潟市から移住した彼女は、地域の方々から「はっちゃん」の愛称で親しまれている。

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 八幡浜市内中心部から、約20分ほど山間部へと車で走ると、“天空の里”という異名を持つ高野地地区が姿を現す。この集落は標高200mから350mに位置し、柿、梨、ぶどう、キウイフルーツ、桃など多品種の果樹『四季百果』が年間を通して栽培されている。

閉校になった小学校の活用法

 2013年に閉校になった長谷小学校を改修した調理場は製造所の認可を受けて、地元の農家のお母さんたちが地産のジャムやゼリーを製造している。そしてなんと、この小学校の職員室が田川さんの住まいというから驚きだ。他の教室も柑橘の収穫アルバイターのシェアハウスとして利活用され、全国からアルバイターが集まり、高齢化する山間地の労働力として若い力が活躍している。

フルーツ倶楽部代表坂本さん

「1992年に発足した時は、PTAの仲良しグループの集まりだったのよ。夫たちのグループが、途絶えていた八幡神楽を復活して、色々な祭りで神楽を奉納すると、御祝儀をもらうのよ。そのお金で楽しそうに飲み会をしている様子が羨ましくて、お母さんたちでも何か小遣い稼ぎができんかな?と思いついたのがジャム作りでした(笑)」

フルーツ倶楽部代表坂本さん

 飲み会が羨ましくて、フルーツの加工品を製造するきっかけになったという経緯が愛媛の田舎らしさである。そこから何年も経て、マーマレードの世界大会と田川さんの移住がこの地域に追い風を吹かせた。

フルーツ倶楽部代表坂本さん
「みかんの産地だから生果で食べるというのが当たり前で、マーマレードには美味しくない柑橘を利用しているというイメージがあったの。メンバーが何度も作り方を勉強しに行ったり、先生を招いたりして試行錯誤してね。
ジュースと皮を分けて苦労して作った河内晩柑のマーマレードがプロの部門で金賞を受賞したの。域の人たちが祝賀会をしてくれたのが本当に嬉しかった。」

 たくましいお母さんたちの活動を、大学卒業したての田川さんは商品製造やマルシェなどでのイベント販売はもとより、SNSで情報発信をしたり、新しいパッケージデザインの取りまとめなどの事務作業を支えた。令和2年、豊かなむらづくり農林水産大臣賞を受賞するなど、輝かしい功績を残す。また、女性の就農環境の改善を図る助成事業を働きかけ、若い女性が働きたくなるような住環境の整備を長谷小学校に実施することができた。高齢化が進む山間地にとって若いアルバイターの働く力は不可欠である。
田川さんの存在は高野地地域になくてはならない急進力になっていったが、3年間の活動を振り返ると悩むことも多くあった。

失敗だらけの1年目を乗り越えて

田川隊員
「協力隊着任当初は、みんなに好かれようと努力したり、失敗を恐れ、他人に迷惑をかけないようにすることを、1番強く考えていました。イベントを企画しても何をどうしていいか全く分からず、気負いすぎたり、他の方に仕事を振ることができず、準備不足だらけで、結局のところ住民の皆さんに迷惑をかけてしまいました。たくさんの失敗を経て落ち込み、失敗から学ぶことがあると気付いたり、周りの人に相談できるようになっていきました。」

笑いながら失敗話を語れるようになったのも自身の壁を乗り越えてきた証だろう。

八幡浜市の担当職員坂本さん
「1年目の活動は完全にキャパオーバーだったようです。本人もしんどく感じていたので、負荷をかけずに見守り、2年目からは活動を削っても良いと伝えました。農家さんの中には書類作成などの事務的な作業を苦手とする方もいらっしゃいます。
高野地は長年にわたり頑張っている地域ではありましたが、田川さんの活動が地域の人たちを縁の下で支え、女性の活躍の追い風になりました。」

八幡浜市の担当職員坂本さん

フルーツ倶楽部の坂本さん
「はっちゃんは、できないと言えない性格だった。失敗続きだったけど、子供や若い人を集めることはできた。コロナで何もできない時期だったし、本人も悩んでいたけど、一生懸命しているのがすごく伝わったし、とにかく高野地が活気付いたのよ。」

そこには、はっちゃんを取り巻くあたたかい眼差しがあった。

退任後の夢や将来のビジョン

 田川さんは、30歳までは海外へ行ったり、いろいろな事に挑戦したりしてみたいと考えている。その後、愛媛に戻り、フルーツ倶楽部での仕事を含めたパラレルワークで生活していきたいというビジョンを描いている。

フルーツ倶楽部 坂本さん
「フルーツ倶楽部ができたばかりの頃は、メンバーたちも元気でできていたことが今はしんどいこともあってね。はっちゃんがいなくなると困るのは、よく分かっています。彼女が担当してくれている外との連絡や事務仕事をこれからどうしようかと話し合っていて。
でも好奇心の強い彼女のこれからを応援したい。メンバーが13人いるから、そのうちの集まれる人数でできることをする。」

八幡浜市役所 坂本さん
「田川さんは、職場に“はっちゃんの旗”を立てて挨拶をしていて、笑顔の多い印象。いなくなることは、さみしいですよ。本当は八幡浜にいて欲しい。」

田川隊員
「高野地は“天空の里”と言われるような地理的要因から、観光客がたまたま通りがかることもない地域です。そんなところに県外から若い女性が住み、大丈夫かなという不安な気持ちにみんなをさせました。色々な話題は提供できていたと思いますが、地域おこしの協力ができていたかは分かりません。
地域の印象は、3年前に初めて来た頃と変わらず、明るくて楽しい個性豊かな人達ばかりの地域だと感じています。」

 社会人としての経験がなく、自動車の運転も初心者マークで来たはっちゃん。高野地の山道を時速10kmで恐る恐るしか走れなかった彼女が、いつしか逞しく、地域にとってかけがえのない縁の下の力もちのような存在になっていた。
 夢を持ち、世界へ旅立とうとする姿に寂しさを抱きながらも応援したいと想う周囲の気持ちは、本当に相手を想うからこそ。いつでも帰ってこれる関係性は家族のようだ。

 高野地のフルーツジャムのように密度の濃く、甘酸っぱい人との繋がりが地域を支え合っていた。